定年後 四つの不安と3S

 

 

話は一年前に遡ります。

社長から『今度の株主総会の時は六十三だよね。内規だから、役員を辞めて欲しい。後は、悪いようにしないから。』などと言われて、四十年もやってきた会社勤めを辞めるとどうなるのだろうと、急に得体のしれない不安に襲われました。会社勤め以外の経験はなく、これは未知への不安かなと思いました。そこで、会社や学生時代の先輩に会って話を聞いたり、書店に並べてある いわゆる定年本や定年小説を読み漁りました。

 そして、先輩たちの話や定年本から、定年後生活への不安・課題を四つに絞ることができました。①お金、②健康、③妻、④生きがい、の四つです。 蛇足ですが、定年小説では、⑤恋愛が加わりますが、個人差が大きくハードルの高い課題なので今回は除外します。

 

①お金ついて

定年後は収入が大きく減るわけですから、それまでの生活持続は諦めて、各人の収入という身の丈に合わせた生活にダウンサイジングするしかないだろう、と思っていました。

しかし、定年本では、専業主婦との標準家庭で九十歳まで二人が標準生活を送るとすれば、六十歳時は〇千万円、六十五歳時では△千万円の貯蓄が、更にリッチな老後を送るには、プラス□千万円必要と書いてあります。

これでは、いたずらに不安を煽るだけです。持たざる人はもちろん不安になるし、持てる人も優雅な老後を確信するにはもっと欲しい、ということになります。知人に億単位の資産家がいますが、証券会社から毎日のように勧誘電話があり煩わしいと言いながらも、先端医療が必要になったらと不安でもう一億円は欲しい、と真剣に嘆いていました。

確かに人生の困難の大半は、お金で解決できるでしょう。しかし、お金はこれだけ有れば安心で満足というもではなく、いくら有っても、もっともっと欲しくなり満足の上限はないもののようです。結局、持てる人も持たざる人も、不安は消えません。

ではどうすればいいのか?満足の上限がないなら “あるだけでいい。いくらでもいい。”と七百年前に発想を転換した賢人がいました。兼好法師です。

徒然草』に、衣食住プラス薬の『四つのこと求め得ざるを貧しとす。この四つ欠けざるを富めりとす。ほかを求めいとなむを驕とす。』という一節(第百二十三段)があります。この四つさえあれば貧ではなく富んだ状態で他を求めるのは贅沢、ということでしょう。見栄やこだわりを捨て本当に必要なものだけあればよい、という考えです。

また、賢人は簡素に生活し贅沢を退け財や世俗の欲にあくせくしない、という次の一節(第十八段)も不安をやわらげてくれました。『人は、おのれをつづまやかにし、奢りを退けて、財を持たず、世を貪らざらんぞいみじかるべき。昔より賢き人の富めるは稀なり。』

これを読んで、富める人にはなれなくとも、賢き人になれる可能性はゼロではないとチョッピリ幸せな気分になりました。

出家人でかつ人間社会洞察の達人である兼好法師の心境には、とても達することはできません。しかし、衣食住薬で足るを知り、企業社会の打算損得の価値観から脱して、簡素でお金にあくせくしない生活を送りたいものです。

定年後は “富める人”ではなく “賢き人”を目指します。

 

②健康について

 日本人の平均寿命は昨年の厚生労働省発表によれば、男性八十一歳・女性八十七歳ですが、健康寿命は男性九年・女性十二年マイナスとなるとのことです。これも〝そんな長い間、寝たきりになるのか?〟と不安を煽ります。その結果、メディアに食事・睡眠・運動・健診など様々な健康情報が溢れているのでしょう。

 食事・睡眠・運動についてのメディアの健康情報は、自分ができるかどうかは別にして、率直に耳を傾けることができます。しかし、〝早期発見早期治療が大事です。定期的に健康診断を受けましょう。〟という健診情報については、自らの体験上疑問を感じます。

 数年前、ある総合病院で人間ドックを受診した時、〝心臓の弁に問題があり手術が必要になるかも・・・、とにかく幾つか精密検査をしましょう。〟という担当医の言葉を受け〝心臓弁とはえらいこっちゃ〟と強いストレスを感じました。幸い検査は三か月で終了し、大きな問題はなく経過観察となった為、ストレスから解放されましたが、検査期間中一時 睡眠障害に襲われ、とても苦しかったと記憶しています。検査期間がもっと長ければ、本当に病気になっていたように思われます。

 そんな私が納得した海外のデータがあります。フィンランドで行われた、医療介入の効果を調べる比較試験結果です。タバコ一日十本超など生活習慣病の危険因子を一つでも持つ四十~五十五歳までの会社管理職男性一二〇〇人が対象です。定期的に医師の指導を受ける医療介入組と何もしないで本人の自由にさせる放置組の二班に分け、十五年間にわたって全員の生死を調査したところ、死亡数は医療介入組:六十七人、放置組:四十六人だったとのことです。たまたまでしょうか。ノルウェイでも中年サラリーマン二〇〇〇人を対象に同様の調査を行った結果、医療介入組に病気にかかっている人が多い、ということでした。

 これは何故でしょう? 私自身の体験から、時として医師のアドバイスは、これを必要以上に深刻に受け止め気に病んでくよくよし、強いストレスとなることがあります。これが、免疫力・抵抗力を弱めるのでしょう。一方、放置組は知らぬが仏と自然治癒力で回復しているのかもしれません。健康な人への医師のアドバイスは、不安を招き有益でないケースもあるということでしょう。

 人間ドックを定期的に受け、医師の指導に従い、食事・睡眠・運動に気をつけて生活していても、健康を維持できるとは限らないのが現実でしょう。仏教では人の一生を“生老病死”の四文字で表します。どんなに警戒し用心しても生まれてきた以上、加齢という病状は進行し、いずれ病気になること、更に死を迎えることは避けられないということです。

 健康不安をやわらげるには、メディアの健康情報や人間ドックの結果情報に過剰反応しないことが肝心と思います。完璧な健康などあり得ないのだから、老いるのは自然なことであり病気になるときはなる、と覚悟を決めてジタバタせずに生きるしかないのかなと思います。

また、健康について考えると、人間の身勝手さに気づかされます。病気になると健康の有難さを今更ながら気づきますが、治ってしまえばコロリと忘れ健康状態が当たり前になり、感謝の気持ちを失います。これは、私だけでしょうか? 人間の業のように思えます。

 定年後は、“一日一日を健康に感謝し、かつ覚悟を持って生きること”を目標とします。

 

③妻について

 先輩たちの中には、定年後はお金や健康よりも妻との関係が一番の課題だと言う人がいます。“旅行に誘ったけど、あなたとはイヤと断られた”とか、“妻が出掛けるので、何時に帰ってくるのか? 俺の昼飯はどうするんだ?と言ったら、妻がキレた。”などの経験に基づくようです。こういう方は、相応の貯蓄と年金があり働く必要がないので、“定年後は家でゆっくり”という考えで、社会との繫がりを持たず妻に寄り掛かった状態になっていると感じました。

男性はプライドを女性は現実をより重視する傾向があります。十数年前に有名大企業から無名中堅企業に出向することになった時、落ち込んだ私は“出向で給料が同じならイイじゃない。”という妻の言葉にハッとしました。価値観の違いを痛感するとともに、“そういう考えもありかな”と思い救われました。しかし、出向と定年退職は違います。現実的な女性にとって、金を稼がない男(古代では獲物を捕ってこない男)の価値はゼロに等しいにもかかわらず、自分の世界に入り込んできたり寄り掛かられたりしては、迷惑千万といったところでしょう。

 それでは、定年後の夫婦円満の秘訣はどこにあるのでしょうか?

厳しいけれども自らを“役立たずの同居人”と率直に認め“なるべく一緒にいないこと、お互いの距離を保つこと”が肝要と考えます。また一方で、時々(週一程度)デートをして話し合うなかで、お互いの価値観を認め合うべきでしょう。昔ある先輩が、“女は馬鹿だが、女と話をしない男はもっと馬鹿になる。”と言っていました。私も最近、妻の話の中に、従来ズブズブに浸っていた企業社会の価値観を見直す発想があることに気づかされました。生々しい生存競争の世界を卒業し、私なりの新境地を拓くキッカケとなれば、と思っています。出世競争、子育て、親の介護、住宅ローン、など全て終わった今こそ、真の個人対個人の関係を夫婦で築ける時期ではないかと感じています。

定年後の夫婦関係は、お互いを尊重し立ち入らないが“人間力を高め合う関係”を目指します。

 

④生きがい

出社に及ばずとなってからは、好きなサイクリングと地元の温泉を毎日のように楽しんで心ウキウキでしたが、半年もすると常態化して最初の頃の高揚感はあっけなく色褪せてきました。思えば、会社ほどイイところは無かったなあ、とつくづく実感するこの頃です。

会社は、給料だけでなく地位・友人・仲間・目標となる人物など実にいろんなものを与えてくれました。適度な緊張感・ストレスは鍛錬・努力に繫がり、成長と生きがいも与えてくれたと思います。司馬遼太郎は定年のことを“人生最大の心理的重圧、自然死は厄介だが、手前に社会死。”(「ビジネスエリートの新論語」)と書いています。肩書も何も無くなり何者でもないタダの人になって、社会死という表現に納得できました。しかし、よくよく考えてみると、元々 タダの人だったと思えます。会社の規模や自分の地位を自分の価値と勘違いしていただけのことだったのです。

では、この先どうすればよいのでしょうか? 定年本によれば生きがいを得る為、“地域の活動に参加しましょう。”或いは“ボランティア活動をしましょう”又は“夢中になれる趣味を持ちましょう”とのことです。“新たな環境で思いがけない考えに至るかも・・・”などと書かれていますが、私はこれらの提案にはイマイチ興味が湧きません。しかし、某大学オープンカレッジの講座内容を見ていると知的興味の湧いてくる講座が幾つかあり、受講するのが楽しみです。生きがいを見つける為、無理に地域社会に溶け込もうとしたり、新しい趣味を探したりする必要はなく、好きなこと興味の湧くことに目を向ければそれで良いのではと考えます。今までも、生きがいを意識したことはなく、結果として家族や仕事が生きがいになっていたのです。これからは、好きなサイクリングと温泉に加えて、知的興奮が期待できるカレッジ講座で人生を楽しみたいと思います。

 定年後の生きがい探しは意識せず“好きなこと興味の湧くこと”に時間を使うこととします。

 

⑤まとめ

 いわゆる定年本には否定的な意見を述べてきましたが、肚落ちする提案もありました。それは、“定年後も働き続ける”ということで、定年後の四つの不安をいっきに緩和するというものです。

 まず①お金の不安には、働くことで僅かでも給料があり年金生活には大きな助けとなります。次に②健康の不安には、働くことで生活のリズム・張りが生まれると共に心の余裕に繫がり、肉体的にも精神的にもプラスとなります。③妻との関係については、収入増でかつ家に居ないわけですから、悪かろうわけがありません。最後に④生きがいですが、働くことで自分の居場所が確保でき孤立解消となり、これもプラスに働くと思います。

 サイクリングと温泉にマンネリを感じていた一月に折よく、仕事の話が舞い込んできました。従来の十分の一の給料で一般事務職アルバイトです。人は元来、女性は美しくありたい、男性は偉く見られたい、という業を持っていると思います。はたして私は、前の肩書を引きずらずに周りから嫌われずにやれるかどうか、不遜ながら興味津々で二月からチャレンジすることにしました。四つの不安の緩和のみならず、私自身 一皮剝くことができれば、とダメもとで期待しています。

 最後に、今後の私の人生基本方針を3S(シンプル・スロー・スマイル)と定めます。身の丈に合わせてプライドなど荷物を捨て簡素で身軽に(シンプル)、俗世の欲にあくせくジタバタせずマイペースで(スロー)、人間力を高め笑顔で楽しく(スマイル)、生きていきたいと念じています